2024.3.16
明治学院大学社会学部社会福祉学科進学!E・Kさん(クラーク記念国際高校)
合格校
明治学院大学 社会学部 社会福祉学科
聖心女子大学 現代教養学部
杏林大学 保健学部 臨床心理学科
久留米大学 文学部 心理学科
SS)明治学院進学おめでとう! 今日はよろしくお願いします。
Kさん)ありがとうございます! よろしくお願いします。
SS)Kさんは途中塾に来ることができなくなって本当に苦しい受験だったね。そんな状況でも諦めずに勝ち取った合格でした。
Kさん)そうですね。なんとかなってほっとしています。
SS)では早速インタビューをしていきたいと思いますが、一番嬉しかったのはどこの発表のとき?
Kさん)それは明治学院ですね!
SS)おお、やっぱそうなんだね。明治学院の発表はどこで確認したの?
Kさん)一人暮らしの薬院の部屋で見ました。その前に東京女子大学の結果がダメだったのでこっちもダメかなあと思って見てみたら「合格」って出て。
SS)叫んだ?
Kさん)いや、嬉しいとかじゃなくて「これは本当に大丈夫なのか?」が先に来ました。
SS)本当に受かってるかどうかってこと?
Kさん)はい。受かってると思ってなかったので嬉しさより意外さと驚きの方が大きくて、すぐにお母さんに電話したらお母さんも「え?」「本当?」って(笑)
SS)そうだったんだ。たしかに共通テストの自己採点結果からするとかなり厳しかったよね。それでも合格できたんだからそれからお祝い?
Kさん)いや、お祝いムードではなくて、早く事務手続きを進めよう、授業料引き落とし用の銀行口座を作らなきゃって感じでバタバタしてました。
学校に通えなくなった高校時代
SS)それはそれで微笑ましい光景です。でも本当によかったね。では、この一年を振り返る前にまずは高校時代の話から聞かせてもらえる? Kさんは通信制高校だったよね?
Kさん)はい。もともとは中学受験をして長崎にある中高一貫校に通っていたのですが、いろいろと事情があって高2の6月に辞めることになってしまいました。
SS)そうだったよね。差し支えなければだけど、高校を辞めた理由というのは何だったの?
Kさん)あ、全然大丈夫です。最初の兆候ということで言えば中2の頃の話になるんですけど、その頃は好きなものとか没頭できるものがまったくなくて暗い顔して廊下を歩いてたんです。そしたら先生に病院に行った方がいいと言われて、一応行ってみたら「自律神経失調症」と診断されたんです。
SS)聞いたことはあります。どんな症状だったの?
Kさん)私の場合はいつも体調が優れず、昼夜逆転しがちで生活リズムが乱れている感じでした。
SS)なるほど。今年もそうだったよね。
Kさん)はい。強いストレスがかかると症状が強く出るみたいで。
SS)それは大変だね。ということは、学校生活もストレスだったってこと?
Kさん)学校の勉強も大変だったのでそうだと思います。でも中3から高1の間は調子が良くて普通に学校も行けていましたし部活もディベート部や吹奏楽部で活動していました。好きなものという意味でもドラマと俳優にハマって、漠然と将来こんな仕事に携われたらなあとか考えていました。
SS)いい感じだね。そこからなんで突然中退することに?
進路決定を迫られて追い詰められていく日々
Kさん)高2に上がって少しして、「進路志望書」みたいなのを提出しないといけなくなったんですよ。よくある志望校がどこで、志望理由が何で、みたいな。みんなはさらっと提出してたんですけど私はあれが全然書けなくて。
SS)そうだったんだ。でも高2のときの進路志望なんて適当に書いて出せばいいんじゃないの?
Kさん)それが難しかったんですよね。もともと中学に入った段階では医学部志望で、というか、特に志望しているわけでもなかったんですけど、なんとなく将来は医学部かなあってのがあって、親もそんな感じでたぶん考えてて。なんですけど、私は中3のとき以来、映像に関わる仕事が素敵だな好きだなという感覚がずっとあって、高2に上がるときの文理選択でも文系を選択してました。
SS)そうか、だったらそのときにお母さんと進路の話はしたってこと?
Kさん)それができてなかったんです。ただ医学部は行きたくないってことくらいしか話せていなくて、映像の仕事に興味があるとかも言い出せず、期待してくれていた親に申し訳ないなとか、でも早く進路決めないととかずっと考えてる中で塾の勉強もあって、もうどうしていいかわからなくなってました。
SS)早稲田の文学部行って演劇やります、とかじゃダメだったの?
Kさん)いま先生とかはそんな風にパッと選択肢を出してくれますけど、当時は周りにそんなことを言ってくれる人はいなくて、自分が本当に進みたい道も言い出せずどんどん追い詰められていって、あるとき塾に行けなくなったんです。それでお母さんと喧嘩になりました。
SS)そうなんだ。それでどうなったの?
Kさん)じゃあ塾は辞めようってなって。その件に関係して学校の先生ともうまくいかなくなってしまいました。
SS)そうなんだ。そこから学校に行けなくなったの?
ストレスが溜まりすぎて動けなくなる
Kさん)はい。その後もなんとか学校には通おうと登校はしたんですが、自分でもよくわからない中ですごいストレスを感じるようになって、ある日気付いたら動けなくなってしまったんです。
SS)それ、聞いたことあります。体がSOSを出してる感じだよね。
Kさん)そうですね。動けない、起き上がれないという感じで昼過ぎどころか夕方まで横になっているような状態になってしまいました。なので、多少早く起きられたときでも完全に遅刻だし学校には行きづらくて、家で寝ていました。
SS)それは大変だ。
Kさん)その状況を見てお母さんが病院に連れて行ってくれました。そこで「起立性調節障害」と診断され、そこでお母さんが高校を辞める判断をしたみたいです。
SS)Kさんは辞めたくなかったの?
Kさん)そのときのことはあまり記憶にないんですよね。今から振り返っても完全にパニックになっていたと思います。
徐々に体調が回復していく中での大学受験
SS)通信制高校には通えていたの?
Kさん)最初は週1のスクーリングも難しかったんですけど、合う薬が見つかって少しずつ回復していきました。そこから高3に上がる頃にはある程度元気になったので、高校最後の1年はやりたいことだけやっていました。
SS)おお、回復してよかったね。何をやっていたの?
Kさん)映像を作っていました。自分で脚本を書いて人を集めて撮影してって感じで、大変でしたけど充実した日々でした。
SS)楽しそうだね! ところで、大学受験はどんな準備をしていたの?
Kさん)受験はあまり対策していませんでした。自学自習の塾に週1だけ通って、立教大学と聖心女子大学だけ受験しました。
SS)へえ、その2つの大学はどのように決めたの?
Kさん)立教大学は現代心理学部で映像身体を学べたらなあってことで受けて、聖心は先輩が行ってて就職とかいいよって聞いたので受けました。
SS)なるほど。手応えはどうだったの?
Kさん)全然なかったです。立教受けて福岡に帰るときの羽田空港でEDIT STUDYに電話しました(笑
EDIT STUDYでの浪人生活の始まり
SS)そうだったんだ。かなり早い時期にお問い合わせをいただいた記憶はあります。EDIT STUDYはどうやって知ったの?
Kさん)お母さんが事前に調べてくれていて、「来年もう行くところあるから大丈夫だよ」って感じで教えてくれました。
SS)それから個別相談に来て体験授業を受けてみてどんな印象だった?
Kさん)英語をすごく基礎から丁寧に教えてくれるんだなって思いました。私は3教科とも基礎からやらないといけないと思っていたのですぐに決めました。
SS)他の塾・予備校は検討した?
Kさん)うーん、あんまり覚えてないんですけどたぶんしてないと思います。大手は高校のときと同じになると思ったので最初から検討していませんでしたし、体験授業がわかりやすくてすぐに決めた記憶があります。
SS)さて、そうやって始まったES生活ですが、なかなか難しかったですね。
Kさん)そうですね。4月に始まってすぐは調子がよくて頑張って勉強していたんですけど、夏くらいから体調がしんどくなって通えない日が増えてきてしまいました。
SS)受験勉強のストレスもあるし一人暮らしで体調管理が難しかったよね。それでも最後までやり抜くことができてよかったです。なにか最後までやり抜くことができた秘訣はあったりするの?
Kさん)それは、そうですね、自分の中でやらないとダメだとはずっと思っていました。勉強を止めた方がもっと悪くなると思って、とりあえず行くだけ行こうって。
ほとんど塾に通えなくなってしまった
SS)すごく頑張ってたのは伝わってました。それでも11月以降はほとんど塾に来られなくなって電話で面談という感じだったよね。
Kさん)はい。電話での1on1面談はすごく助かりました。受験終わってからお母さんに言われたんですけど、先生と電話した後は表情が明るくなっていたみたいです。
SS)それはお母さんからもメッセージをいただいていました。お役に立てたようでよかったんだけど、そんな大した話はしていないような気もする(笑)
Kさん)先生ってネガティブなことを言わないじゃないですか? 私は全然勉強できていなくて入試まで時間もなくてもう無理だって思ってても、先生は「いや、まだ間に合うでしょ」「世界史はこれだけやって、あとは英語をこれやれば大丈夫」とかポジティブなことをずっと言ってくれるし、「ここを乗り越えられたら何を得られる?」「大学に受かったら何がしたい?」みたいな明るい未来の話ができたので、気持ちが楽になっていました。
SS)たしかにね。でも普通に先生にネガティブなことを言われたらイヤでしょ。
Kさん)そうですけど、たぶん大手予備校に行ってたら最後までやり抜けずに予備校も受験も辞めてたと思います。
SS)そう言ってもらえると私も嬉しいです。本当に最後までやり抜けてよかったね。では、最後になりますが、未来のES生に向けてアドバイスをもらえますか?
Kさん)そうですね。模範的なES生ではなかった私ですが、どうにかやり続けたらなんとかなりました。先生にもずっと言われていたように、とにかく入試を受けられるところまで頑張ったから、これから大学生になることができます。体調も悪くて気持ちも沈んで、全然勉強時間も取れなかったし、塾にも後半はほとんど来れなかった私でも、最後まであきらめずにやり続けたらなんとかなりました。なので、みなさんも最後までやり抜くということを目標に頑張ってみてください。
SS)ありがとう。同じような状況で苦しんでいる人たちにとってすごく良いアドバイスになると思います。もう言い残すことはない?
Kさん)そうですね。とにかく1on1面談がよかったです!一年間ありがとうございました!