2020.1.8
【6】「ゼロから」の厳しさについて
こんにちは、EDIT STUDY福岡天神校の村山です。
前回は「MARCH・関関同立」の厳しさについて書きましたが、今回は「ゼロから」の厳しさについて考えてみたいと思います。
前回は「MARCH・関関同立」のイメージを検証しましたが、「ゼロから」の大学受験と聞いてイメージする状況はどんなものでしょうか。大学受験を志すということは18歳前後でしょうから、幼稚園・保育園(2-3年)→小学校(6年)→中学(3年)→高校(3年)と少なくとも15年前後は教育機関に通っているわけで、その意味では文字通り「ゼロ」という方はいません。にもかかわらず、「ゼロから」の大学受験という表現は一定以上具体的な状況を意味しているように思えます。まずはその点を明らかにしていきましょう。
一般に、「ゼロから」と言ったときにイメージされるのは、その学年で身につけているとされる知識が圧倒的に不足している状況ではないでしょうか。例えば、高校3年生段階で英語のTo不定詞を知らなかったり、鎌倉幕府の後に成立した幕府がわからなかったりする場合、その人はかなり勉強不足と言えると思います。なぜなら、これらの知識は義務教育である中学段階で教えられるものだからです。
とはいえ、To不定詞や室町幕府を知らないだけで学力「ゼロ」とはさすがに言えません。単純に興味領域が別の科目にあり、例えば数学では圧倒的学力を持っているのであれば、その方はまったく学力「ゼロ」ではありません。なので、上記中学段階の知識が全科目に渡って致命的に欠けている状態、これが学力「ゼロ」の実態と言えると思います。これは前回の進学先分布図でいくと、もっとも下部に当たる部分となります。
図1
なのですが、実際はそこまで勉強をしていない方は他に能力があったり興味領域が勉強になかったりして大学進学意志がないことがほとんどですので、一般に「ゼロからの大学受験」と言った場合は、大学志願者の中でもっとも下部に当たる部分と言えるでしょう。
図2
もちろん大学に進学しない方の中でも勉強ができるという方はいくらでもいますので、その辺りのことも考慮すると図1と図2の間の層が一般に「ゼロから」大学受験に臨む層であると言えそうです。いずれにせよ相当なハンディキャップを背負った状態からのスタートになりますので、この状況から大学受験勉強が非常に困難であるというのは想像に難くありません。
さて、前回と今回で「MARCH・関関同立」の厳しさ、「ゼロから」の厳しさを別々にみてきましたが、当塾の掲げる「ゼロからMARCH」はこの2つの厳しさを掛け合わせたチャレンジになります。次回はどのようにして「ゼロからMARCH」を実現していくかについて書いてみたいと思います。