2015.5.6
何のために勉強するのか?
今日は大学受験を知らない方、あるいは遠い昔のことでどれほど苦労したか忘れてしまったという方に向けて、私立文系三科目受験でゼロからMARCH(明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学)に合格することがどれだけ大変なことかを説明してみたいと思います。その中で見えてくるものもあると考えるからです。
ゼロからMARCHに合格するためには、当然ながら一定量以上の知識を理解・暗記しなければなりませんが、私立文系では一般的に数学をはじめとして理系科目が必要ないため、学習内容自体に理解できないという部分は少ないです。しかし、10ヶ月で処理するには求められる暗記量が膨大ですので、まずはその勉強量をコントロールするカリキュラムが必要になります。
次に必要になるのは、そのカリキュラムをしっかりとこなすことです。例えば、当塾の午前コース(浪人生クラス)では月水金を各5時間の授業・テストに充て、火木土をそのためのインプット時間としています。平均的な塾生で、毎日9時から18時まで実質8時間前後の学習を300日間重ね続けることができれば当塾の合格保証条件を満たすことができます。つまり、上記勉強量をこなせば90%以上の確率でMARCHに合格できると考えていただいて結構です。
さて、言葉にしてみるとあっさりしていますが、これは実行するとなると思いのほか大変な作業になります。
まず第一に、受験勉強は面白い部分もありますが大部分はつまらないものです。次に、「継続は力なり」を強要される側面があり、逆に言えば、継続できない人は学力の向上が期待できません。また、非常に厳しい自己管理を要求されますので、ときに何のためにそこまでしないといけないのか分からなくなります。このような要素を持ち、かつ、より一般的な行為にあえて当てはめるなら、私は「早朝ランニング」が近いと考えています。
毎朝6時に起きて1時間ランニングを
300日間、雨の日も風の日も一日たりとも休まず続けること。
ゼロからMARCHを目指す大変さはちょうどこれくらいだと思います。
どうでしょう。
これを「自分なら絶対にできる」と自信を持って言い切れる大人はどのくらいいるでしょうか。
まあ正直ほとんどいないと思われます。
こう言うと、目的も意味もなく毎日ランニングなんてできるか、という反論もあるかもしれません。
では、例えば、一年後のマラソン大会で入賞することを目標としましょう。入賞すれば500万円の賞金がもらえます。300日間、一日も休まず、朝6時に起きてランニングし続けることができれば90%以上の確率で入賞できます。これならどうでしょうか。
現実問題としては、これでも完遂できる人の方が少ないと思われます。
飲み会があって起きられなかった、風邪をひいた、親戚が死んで葬式に呼ばれた、10%入賞できない可能性があるからやりたくない、そもそも500万円くらいで自由を奪われたくない等々、言い訳はいくらでも考え付きます。受験勉強の大変さもこの類のものです。何のためにそこまでやらないといけないのか、ふとしたときに分からなくなり、つい楽な方へ流れてしまいそうになるのです。
このように実はなかなかハードルの高い早朝ランニングですが、非常に不思議なことに、たったひとつ条件を付け加えるだけで多くの大人は難なくこなせるようになります。
その条件とは
「できなかったら家族が路頭に迷います。」
この条件が付けばほとんどの大人は四の五の言わず完遂します。
そう、ランニングが仕事になれば余裕でこなせるのです。
むしろ毎日1時間でいいなんて楽勝すぎますね。
何の話か分からなくなりそうなのでまとめます。
ここで言いたいのは、勉強と仕事のどちらが大変かとか、受験勉強している子どもより仕事をしている親の方が偉いとかそんな話ではありません。
より不思議で本質的なのは、
人は自分のためよりも「誰かのため」の方が圧倒的に頑張れる
という事実です。
自分のために頑張れる人は何のために勉強するのかなどは考えなくても前に進んでいけます。
常に道は一直線、「自分の人生をより良いものにするために」頑張ればいいだけだからです。ベンツに乗りたい、タワーマンションに住みたい、いい女(イケメン)を連れて歩きたい、とにかく大物になりたい。バブル期の中小企業社長のようなモチベーションもそれはそれでいいことでしょう。ただ、これは明らかに一種の才能です。
そうではない多くの方が何のために勉強するのか分からなくなりそうなときは、自分は勉強した結果、将来的にどのような人の役に立ちたいのか、どのように社会に関わっていきたいのかを、理想論でいいので少し考えてみてはいかがでしょうか。
例えば、「英語を使って仕事をしたい」。
学生からよく聞く言葉ですが、実はそれだけでは「ベンツに乗りたい」以上の何も言っていないに等しいのです。そうではなくて、英語を一生懸命勉強して、「将来的には愉快なアメリカ人を全国の小学校に呼び、アメリカンジョークを普及させて陰湿ないじめを減らしたい」など、何でもいいので誰かのためになることを考えてみるのです。そこまで大きな話である必要はなく、お母さんを喜ばせたいとか、お父さんの仕事を手伝いたいとか、もっと身近な方が具体性があってモチベーションにつながりやすいでしょう。いずれにせよ、
自分のためには頑張れない人でも「誰かのため」なら頑張れる
これは人生の美しい真理だと思います。