塾で生徒と一緒に過去問を解いていると各人の成績のばらつきが非常に気になります。順調な人は順調ですが、順調でない人が尋常でないほど順調でない。果たしてこの原因はどこにあるのか、じっくりと考えてみました。長文です。
ヒントはある生徒の「英語にも国語力が必要なんですね…」という一言でした。あまりにも当たり前のことはえてして思考の枠組みから外れてしまうものです。当然ながら、英語も古文も漢文も、果ては社会までも国語力は関係してきます。これは大学受験指導の立場にある人間なら誰もが考えていることでしょう。しかし、もう少し踏み込んで考えてみますと、ここである重要な問題に気が付きます。
そう、その最も肝心な国語力とは「具体的に」何でしょうか。漢字、慣用句、助詞の使い方でしょうか。論理力のことさ、と言ってみても問題はひとつも解決しません。ただ漠然と国語力=論理力と言われてもピンと来ない方も多いでしょうし、突っ込んで考えてみるに私自身それほど腑に落ちる概念ではありません。
結論から言えば、おそらくこの場合の国語力とは「落ち着いて順序立てて物を考える能力」と定義することができると思います。そして、スランプの原因は確実にここのどこかにあります。ひとつひとつ見ていきましょう。
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1. 落ち着いて
- 当たり前のことですが、制限時間内に問題が解き終わらない、あるいは解き終わらないだろうと予測される場合、この要素が満たされません。よく「家に帰って落ち着いて見たら余裕で解ける問題だった」という発言を生徒から聞きますが、そのような方は単純に落ち着きが足りないのです。とはいえ、そう簡単に落ち着いて試験に臨めるわけではありません。問いに集中し、自らの知識をいかんなく発揮するためには普段から少しずつ訓練を積む必要があります。具体的には、たとえば英語の読解中にTo不定詞の用法や分詞の用法を決定するのに時間をかけすぎる方、あるいは、古文の品詞分解に手間取っているような方は訓練が足りていないのです。最初から高速判断ができる人はこの世に一人たりともいません。毎日毎日少しずつ速くしていき、最終的にはほぼ瞬間的に判断ができるようになる。そして、このスピードが力になります。
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2. 順序立てて
- 物事には何事も、とまでは大きくしませんが、少なくとも大学受験勉強には思考の順番があります。たとえば古文を考えてみますと、いきなり基礎知識のない段階から品詞分解をやれと言われても誰もできません。まずは動詞の活用型を判断→活用形を判断→助動詞の接続を判断→意味を判断→現代語訳につなげるという作業が必要です。そして、それぞれの判断の際にさらに細かい判断を積み重ねていかなければなりません。どんな天才であろうと、最終目的である「現代語訳」に辿り着くためには順序立てて考えていかざるを得ません。基本的にはこの順序を覚え込むことが大学受験勉強であり、この順番を根気強く守れない人は大学受験勉強ができない人ということになります。古文の授業中、投げやりな態度で適当なことを書き殴っているような方はこの能力に致命的な欠陥があります。受かりたいのであれば、ひとつひとつ丁寧に順番を追っていくことです。
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3. 物を考える能力
- これは個人差があります。全く同じヒントを与えられても同じ答えに辿り着くとは限りません。おそらくはこれがいわゆる「地頭」というものであり、私がいくら頑張ってもアインシュタインには到底及ばないように、努力や訓練を超えた能力だと思います。人の能力はイコールではありません。
ここまで見てくればスランプの原因も見えてきます。3はどうしようもないものとしても、1と2は単純に訓練すれば大きく伸びる能力です。というよりも、訓練なくしては絶対に伸びない能力です。また、スランプの原因が3であることは有り得ません。仮に物を考える能力に弱さがあるとすれば、その場合は「最初からできない」わけですからスランプの原因にはならないわけです。要するに、スランプだと言っている人は「かつてはきちんと訓練を積みつつあって」なおかつ「今はその訓練を軽視している」人だと言えます。これは個人的に受ける印象と完全に一致します。原因が分かれば解決策は自ずと見えてきます。あとは自分で考えてみてください。
話変わりまして、上記のような「落ち着いて順序立てて物を考える能力」とは知性の大きな部分を占めています。となれば、訓練によって知性を向上させる、つまりは頭が良くなるという事態が普通に有り得るはずです。実際に卒塾生から「1年で頭が良くなったと思う」という発言を耳にしたこともあります。人に教える立場にあるにも関わらずなんでもかんでも地頭で片付けたがる人が一定数いるようですが、私にしてみればその人自身が「落ち着いて順序立てて物事を考える能力」に欠けているように思います。
大学受験は訓練です。
そして、訓練で頭は良くなります。