2019.1.4
■OBのDS生活回顧録■ ~2014卒シキマチくん⑤~
⑤最後の追い込み~受験本番
センター試験が終わり、一段落しましたが、ほっとするのも束の間で一か月後には一般入試が控えていました。
センター試験は自分が想像していたよりも振るわない結果となりましたが、今までの模試から実力自体は付いているのは事実でした。
ここから一般入試に向け怒涛の追い上げをしてやろうと、自分自身躍起になっていました。
センター本番二か月前くらいから、古文の授業を行っていました。
内容としては古文の活用形や単語の暗記、実際に問題を解いてみるなど一般的なものでした。古文の問題は、文法と読解と歴史の問題の三つに分かれていて、先生曰く文法は絶対得点し、読解はそこそこ出来れば合格点ということだったので、毎回しっかりと文法と単語は覚えていました。
英語と同じように毎回古文単語のテストがあり、古文は、一応は日本語なので覚えやすく、そんなに苦労はしていなかった覚えがあります。古文は実際に授業を受けた後、即座に得点できるようになりました。
また同じく、漢文の補講授業も行われました。こちらは任意の参加で、授業後に開講しており、早稲田では漢文が出題されるので受講していました。
漢文も古文と同じ傾向で、より文法に比重が置かれているといった印象でした。古文に比べ漢文は単語の暗記がないため、文法さえ覚えたならば、すぐに問題が解けるようになりました。
センター後からは、ひたすら志望校の過去問を解いていました。
塾内にある過去問や、自ら購入した赤本を解き、その大学の学部の問題傾向や時間配分等を覚えました。その後、不正解だった部分に該当するものを、問題集で復習するといった形態をとっていました。
センター試験とは違って、大学の入試問題は比較的時間に余裕が持てました。というのも、やはりセンター試験のような大量の英文を時間内に読み終えるように、読み込みをしていたからだと考えます。この頃解いていたMARCHレベルの過去問は全科目安定して合格点が取れていました。
しかし、特殊な問題形式からか早稲田の問題、特に英語は中々安定して高得点を取れませんでした。なので、MARCHと早稲田の試験日は離れているので、その間に早稲田の問題をひたすら解き(8年分程度)、結果、人科と教育は安定して合格点を取れるようになっていました。
そして受験本番。
センター試験で緊張に慣れたのか、どの日程もあまり緊張することはありませんでした。ひたすら過去問を解いたため、中央と明治の出願した学部すべて手ごたえを感じました。
そしてその結果は、すべて合格しており、手ごたえが確信になりました。正直、自分でも驚くべき結果に気が緩んでしまい、早稲田の過去問を解いていながらも、今後の試験はエキシビションマッチといった感覚でした。
そして早稲田本番。今でも覚えています。早稲田の16号館で人間科学部と社会科学部と教育学部、11号館で商学部を受けました。日程は人科、商、教育、社学の順番だったと思います。人科と商は手ごたえを感じ、教育はそこそこに、社学は自信があまりありませんでした。
入学試験も終わり、明治に進学する予定だったので高校の友人と遊ぶ予定を立て、そこに向かう電車の中でした。母親から急に電話が入り、取ってみたところ人科に合格していたということでした。自分自身まさか早稲田に受かるとは思っていませんでしたし、両親も合格に驚いたそうです。母親の上ずった声はいまだに覚えています。その後他の3学部は落ちてしまいましたが、そんなことよりも早稲田大学に合格できたことでいっぱいでした。
このEDIT STUDYに入塾し、こういう言葉はあまり好ましくないかもしれませんが、人生が変わりました。
日東駒専も受からなかった自分が、私大トップの早稲田に合格し、かけがえのない大学生活を過ごせたのはこの塾と、両親の支援、そして自らの努力があったからこそ成されたことです。また当時塾長で現在は町田校校長をされている村山先生、当時は1年目の講師で現在はEDIT STUDY代表の小路永先生とは今でも交流があります。そして、一年間切磋琢磨したクラスメイトは年に数回飲み会をしたり、同じく早稲田に合格した人とは親しき友人になったりと、かけがえのない存在です。